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李承晩大統領時代
日韓併合時に日本から伝わった空手は空手道(そのまま日本語読み)、コンスド(空手道の韓国語読み)、タンスド(唐手道の韓国語読み)、拳法など、様々な名称で普及されていた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。
* 青涛館
(1944-)初代館長は李元国(朝鮮戦争時、日本に密航し、「売国奴」として地位は抹殺される)。二代目はユン・ ケピョン。
この分館として下記のものが派生した。
* 吾道館
館長は崔泓煕(チェ・ホンヒ)少将。軍隊内で広める。蒼軒流空手と称したこともあるが、李承晩大統領と接し、1955からテコンドーの名称を使い始める。1960年におきたベトナム戦争時には657名のテコンドー師範を同地に派遣した。また、民間道場とは差別化し、一線を画していた。
* 国武館 * 正道館 * 青龍館 * 朝鮮研武館空手道部智道館(1946 -)
館長チョ・サンソク。 柔道道場内に発生。
* YMCA拳法部彰武館(1946 -)
館長ユン・ピョギン。のち智道館と親交が厚くなる。 この館の分館として講徳院、韓武館等が挙げられる。
* 武徳館
館長黄琦(ファン・ギ)。館長は南満州で朝鮮古武術を学んだとしているが裏付ける資料はない。鉄道局内のクラブとして発生。唐手道(タンスド)あるいは手縛道(スバクド、手縛は高句麗時代からあったとされる武術)の名で普及。この系統はいまも活動中。
* 松武館(1946 -)
館長ノ・ピョンジク。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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8月28日(火)18:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事 | 管理
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